「週刊農林」200611月5日号に掲載・巻頭コラム「農林抄」

 

日本人に欠ける「魚食の大切さ」 白石ユリ子・ウーマンズフォーラム魚代表

 

 「21世紀はお魚戦争」が具体化してきた。私はかねて、世界中が魚食の価値に気づき、近いうちに日本はこれまでのように世界中から魚が買えなくなる、と予言してきた。そうした事態にでもならないと、日本の消費者は絶対に魚食の大切さに気づかないだろうとも話してきた。今年はいよいよ、このお魚戦争が目に見えるようになってきた。日本はエビもサバも買い負けて、輸入がどんどん減っている。マグロは事情が違うけれども、輸入が減っている。国民の目が幾ばくかの危機感とともに、魚に向いてきている。いまこそ、チャンス到来。日本の国民に国を挙げて海と魚の大切さを語るときなのである。水産基本法の基本理念は「水産物の安定供給」ではなく、「海とサカナこそ、資源のない我が国の命綱である」と国民はもとより、世界中に発信すべき時を迎えている。

 「魚介類の消費向上」は目的ではない。日本人が伝統の食文化の大切さに気づき、魚食がいかに日本人の体に良いかに目ざめた先に、魚介類の消費向上はある。一尾一尾の魚を大切に食べること。海に囲まれていることに感謝し、旬の魚を食べることを国民一人一人が実践すれば、これほど大きな力はない。今取り組むべきは、問題点の指摘ではなく、良いと思うことを漁業関係者全体がやってみることだ。例えば、浜で値のつかない捨魚の利用をとことん追及してみること。すばらしい加工技術に対しては、どんどん優遇すること。漁業者と研究者の交流や、日本の漁業者の海外派遣など漁業と漁業者の社会的な位置づけを高めるためのアクションを起こすこと。また、子どもたちにとことん体を使わせ、うんとお腹をすかせたときに、お頭つきのジャコをたくさん食べさせること。食育とは、食材の栄養価を知ることではなく、「食べもののおかげで私は生きている」ことを実感させることだと信じる。

 海の利用の仕方を見直し、漁業権についてもっと将来を見通した施策が必要と思う。また、世界第6位の広さを誇る日本の排他的経済水域については、もっと細やかな調査研究をすべきと思う。漁港やコンクリートで覆い尽くされた沿岸域は、魚の棲みかを取り戻せるように港湾土木技術者の知恵を結集すべきではないか。繰り返すが、こうしたことを行うための基本理念としての水産基本法であるべきで、水産物の安定供給が目的では情けない。もっと志の高い法律へと成長してもらいたい。

 日本人が長寿世界一となったことから、日本の魚食は今や世界の憧れとなっている。世界の主要都市のどこに寿司バーがあり、その土地の人が美味しそうに寿司をつまんでいる。スリ身をハンバーグにしたり、サンドイッチの具材にと欧米でも大変な人気だ。こうした外国人の評価する日本食を、我々は知らなすぎる。そして、粗末にしすぎている。「海の国、日本」を高らかにうたいあげる水産基本法であってほしい。基本計画には、その精神を具体化するための前向きな政策を望みたい。何の具体的もない文言ではなく、行動することを重視し、まず、全てのことに挑戦すべきである。挑戦こそ日本国民に課せられた課題である。