東京湾まるごと探検隊その2「東京湾漁業探検隊〜投網漁の巻」

 

2月28日(日)、ウーマンズフォーラム魚が主催する「東京湾漁業探検隊」に同行取材してきた。江戸時代から継承されてきた投網漁を船上から子どもたちに見てもらい、東京湾の復活ぶりを実感してもらおう、という粋なイベントだ。
 異臭を放つ東京湾は昔の話で、豊かな海としてよみがえりつつある。それに伴い、天然ウナギや海苔など東京湾(江戸湾)で獲れた「江戸前」が人気を呼んでいる。さて、東京湾の現状はいかに。

◇「漁に雨は関係ない」

 午前10時前、江戸川に係留されている屋形船に乗り込んだ。屋形船は初めての体験である。濡れた靴を脱いで屋形船の中に上がり込んだ。結構、広い。最大収容人数は80人と書いてあるから、大広間の宴会場クラスの広さがある。
 奥にはカラオケ用の大画面テレビがどんと鎮座しており、福島支局時代に言った温泉宿の大広間を思い出した。揺れも気にならない。意外と居心地がいいものだな。チャンスがあれば、屋形船で宴会を企画してもいいかもしれないなあ。
 今回の参加者は45人で、うち17人が小学生を中心とする子どもたちだ。

 網元「あみ弁」の小島一則さんは8代目に当たり、投網漁の技を江戸時代から代々継承してきた。「江戸投網保存会」の世話役も務めている。
 われわれには生憎の雨天だが、ベテラン漁師の小島さんにしてみれば「漁に雨は関係ない」。それより、潮位などの方が大切らしい。江戸川を下り、東京湾内湾の漁場「三枚洲」を目指す。

◇1メートル級の大物を捕獲

 船の先端部分に、小島さんの子息である小島一幸さん(いよ9代目!)や「あみ武」の小島智彦さんが束ねた投網を持ち、さっそうと立った。ゴム長姿が粋である。潮の流れを読み、海面下の魚群を察知しようと神経を集中する。
 緊張感みなぎる瞬間だ。子どもたちはかぶり付きで、海の男の一挙手一投足を見守っている。次の瞬間。小島さんは投網の束を体の左側に振り、ためを作った後、腰の回転を巧みに使って投網を海面に向かってぱーっと放った。流れる動作が何とも美しい。名人だと、網は20畳ほどの面積に広がるという。

 網をたぐり寄せると、1メートル近くある大物が2匹、小ぶりなのが1匹入っていた。レンギョという淡水魚と、コハダだった。子どもたちは手で触れ、「すべすべしてる」「おっきい」と興奮気味だ。
 レンギョは戦後、中国から食料用に持ち込まれた外来種である。しかし、小骨が多く調理が難しく、日本人の口に合わなかったようで、今ではほとんど食用されなくなった。

 

◇投網歴50年でも「まだまだ」


 投網に流派があると初めて知った。小島一族の投網は「細川流」。江戸時代、熊本藩主の細川氏の参勤交代に伴い江戸にきた漁師の末裔だ。小島一則さんは「ほかではこんな大きな網をやっているところはない」と自負する。名人なら20畳もの面積に広がり、獲物を一網打尽にする。
 投網は広げるだけではだめ。自分自身の気配を消し、できるだけ遠くに、そしてぱーっと大輪の朝顔のごとく広がらないといけない。熟練が必要だ。小島さんは高校卒業後に本格的に投網漁に従事し、25歳になった時、7代目である父親に「まあまあ」と言ってもらった。

 小島さんの投網歴は50年に及ぶ。それでも本人は決して自分の技に満足していない。「いまだに、一人前じゃないですから。まだまだ練習中」。小島さんにとって、投網は一生かけて極めるべき道なのだろう。
 歌川広重の「名所江戸百景」シリーズの浮世絵にも、投網漁の様子が大胆な構図で描かれている。投網漁はまさに、江戸時代から伝承されてきた職人技なのだ。浮世絵に書かれた漁師はもしかしたら小島さんの先祖かな、と想像が膨らんだ。

◇よみがえる東京湾

 東京湾は元来、豊かな海だった。外国人に知られる日本料理の江戸前寿司や天ぷらが江戸で生まれたのは、新鮮な魚介が目の前に広がる海で獲れたからだろう。江戸前とは、江戸城の前に広がる江戸湾(東京湾)で捕れた鮮魚のことで、生魚を使った握り寿司を江戸前寿司と呼んだ。
 しかし戦後、産業発展が優先され、干潟は埋め立てられ、工場や生活排水が垂れ流しにされた結果、東京湾は瀕死の状態に追い込まれた。

 昭和40年代、東京湾の魚はまったく売れなくなり、漁業は廃業状態に。小島さんは天ぷら屋を開き、時には造園のアルバイトをしてしのいだ。
 その後、環境意識の高まりもあって規制が強化され、東京湾は徐々に息を吹き返した。水質は随分改善した。東京湾の漁獲生産量はピーク時の1960年代初めには年間15万トン規模あった。減少の一途をたどったが、ようやく下げ止まり、近年は5万トン規模で推移している。
 「今は一番、漁に向かない季節だけど、春になるとスズキがのっこんできます。クロダイもやっぱり5月ころになるとのっこんでくる。ボラも投網で獲って、築地市場に持ってきます」と小島さん。消費者の信頼を取り戻し、「江戸前」のブランド力をいかに高めていくかが今後の課題だ。

◇ヒラメを踏んでしまう豊潤さ

 「ここ(引き潮後に現れた陸地)におりたちて蠣(カキ)蛤( ハマグリ)を拾ひ、砂中のひらめ(ヒラメ)をふみ、引残りたる浅汐に小魚を得て宴をも催せり」(『東都歳時記』天保9年=1838年)
 東京国際大学の出口宏幸先生によると、当時の品川や深川沖は数キロも歩いて行けるほどの遠浅だった。引用文は「小船で沖に出たところ、引き潮で海だったところが陸地になり、カキやハマグリが落ちていたので拾って集めた。おっと、砂に隠れていたヒラメを踏んでしまった!引き潮でできた水たまりで小魚も捕まえたので、宴会を開いちゃいました」という、何とも楽しそうな描写である。

 江戸湾が手づかみできるほど豊かな海だったからこそ、江戸で生魚を使った繊細な料理が生まれたのだろう。江戸前が誕生する以前の寿司は、塩をふった魚介類をご飯と一緒に漬け込んだ「熟(な)れずし」などで、自然発酵して酸味がある保存食品だった。

 

◇豊かな東京湾を目指して
 

今回のイベントを企画したウーマンズフォーラム魚(WFF)の白石ユリ子代表は「魚に関して、この国では消費者教育がされてこなかった。消費者と漁業関係者をつなげようと、WFFを17年前につくりました」と話す。
 野菜では地産地消がブームだが、魚介に関して言えば、東京湾をきれいにして、もっと地場の魚を食べましょう、といった声はまだ聞かれないと懸念している。東京湾の豊潤さを取り戻せれば、魚資源の争奪戦が世界的に厳しさを増す中、魚介類の安定供給につながるばかりか、人と海の深い関係を取り戻す好機にもなるだろう。
 WFFは「おサカナを食べるとは、大いなる海の生命をいただくこと」と考える。子どもを対象に、海とのつながりを取り戻すプログラムを今後も展開していくという。
 イベントは最後、シジミ汁をいただいて締めくくられた。小島さんが前日、もちろん東京湾で獲った正真正銘の江戸前だ。磯の香りが鼻腔をくすぐる。
 テーブルの反対側に座っていた小学3年生の女の子は両手で赤い椀でシジミ汁を飲むと、「ふー」と幸せそうな表情を見せた。これが海の恵みの味ですね。

2010年2月28日、新井佳文(時事通信)